今までの抗がん剤治療

まず、化学療法を始める前にたくさんの検査と、胸水を抜く処置、腹水を出すための利尿剤、そして首にカテーテル(CV)を通す処置をしました。精子保存もしました。

最初の寛解導入療法ではオンコビンプレドニンを使いました。しかし、すぐにオンコビンの副作用で便秘になり、終いには腸閉塞(イレウス)になってしまい、三週間絶食絶飲でした。とても辛かったです。その三週間で体重も20キロ近く減り、歩くこともできなくなりました。

オンコビンも使用することができなくなったので、代わりにロイナーゼという抗がん剤を使用しました。しかし、結局最初の寛解導入療法では寛解することができず、芽球(blast)も抹消血で20%程残っていました。

二度目の寛解導入療法では、

という抗がん剤を使い、寛解することができました。(抹消血の芽球0、骨髄で芽球3%)

地固め療法ではメソトセキレートを使い、完全寛解しました。(骨髄中の芽球もほぼ0に近いが、怪しい細胞も見られた)

そして二度目の地固め療法では、

を使いました。これが僕が受けた最後の治療で、ここから維持療法ではなく、造血幹細胞移植の方へ移行しました。



明日から移植に向けて入院をする予定だったのですが、とりあえず今の帯状疱疹の状態確認と採血をさせてくれとのことでして、明日の入院するしないはまだわかりません。

どうなるかな〜



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ちなみに骨髄注射(ルンバール)は全治療期間中、二週間に一度くらいのペースでやっていました。


入院から二度の転院 ③

やっと病名がわかる。

しかし、いざ先生と話をしたら悪性リンパ腫白血病の疑いがある。骨髄検査(マルク)をして、悪性リンパ腫だった場合はまだ余裕があるが、もし白血病だった場合は治療設備がしっかり整った病院へ明日すぐに転院して下さいと言われました。

先生と話しても尚、自分が悪性リンパ腫だとか白血病のわけがないし、そもそも悪性リンパ腫とか白血病ってもっと重篤の状態になるんじゃないの?と思っていました。(しんどいながらも意識などはしっかりしていたので)

骨髄検査を終え、しばらくベッドで安静にしていたら、まず両親だけが先生に呼ばれ、それでなんとなく悟りました。

そして先生が検査の結果、急性リンパ性白血病ですと伝えにきました。

正直、あ〜まだ若いのに死んでしまうのか...と酷く絶望しました。だが、先生が今は白血病も治せる病気なんだよと言ってくださり、早く転院して治療がしたいと思うようになりました。

しかし、翌日転院するはずが、転院先のベッドの空きがないので2日程待たなければならなくなり、この2日間がとても辛い2日間でした。

転院時の検査では白血球数2万だったのが、2日後には8万まで急速に増え、呼吸もできなくて酸素マスクもつけていました。白血球数を減らすステロイドの点滴もしましたが、これは全く効果なしでした。



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実はこの2日間のことはあまり覚えていません。とにかく辛かったです。早く転院して治療を受けたいと言う気持ちと、転院する前に死んでしまうのではないかという不安。夜も寝てしまったら朝を迎えることができないのではないかという恐怖。とにかく不安と恐怖でいっぱいでした。

しかし、何とか2日間を乗り越え、2013年9月2日の朝、救急車に乗って転院先の病院へ無事転院することができました。



これで「入院から二度の転院編」は終わりです。次回からは今までの抗がん剤治療について書いていこうかと思います。



発症から二度の転院 ②

最初に入院した病院の入院計画では

  1. 胃カメラ
  2. 大腸カメラ
  3. 心臓エコー
を1日ごとに行う予定でした。

やられたことがある方はわかると思いますが、最初の胃カメラが中々エグい検査で、完全にビビってしまい、2日目の大腸カメラは全身麻酔にしてもらったのを覚えています。

これもやったことがある方はわかると思いますが、全身麻酔は凄い!

結局心臓エコーも含め、全ての検査で異常なしでしたが、やはり痛みは続いたので退院できずに経過観察となった。

ただ入院しているのに病名不明で、治療もなしでした。やることは痛み止めの点滴と採血だけ。しかし、先生は何らかの感染症かウィルスではないかの一点張り。

入院7日目にはお腹が腫れあがり腰の激痛で歩けなくなるほどになっていました。腕に痣もできていました。(おそらく血小板の不足による内出血)

そしてついに入院10日目、今まで採血は異常がなかったのに、何かしらの血液異常が出たのでしょう。即刻同じ市内の血液内科のある病院に転院することが決まったのです。(それまでは循環器内科に入院していました)

転院が決まった時は、やっと自分の病名がわかると思い、少し安堵していました。

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続く...






発症から二度の転院 ①

息を吸うと肺が痛い。

誰かに言うわけでもなく、寝れば治るだろう程度の痛みでした。しかし、3日後に急に痛みが強くなり、息ができない程になりました。さすがに黙ってはいられず、親に言いました。

実は大学が実家から離れていて、不幸中の幸い、帰省中に異常が出ました。もし下宿先で発症していたら野垂れ死んでいたかもしれません。

最初は市立病院の救急外来でレントゲンとCTを撮りました。結果は感染症かウィルスではないかと診断され、痛み止めを処方してもらいました。

しかし、次の日の朝に電話があり、しっかりとレントゲンとCTを見た結果、脾臓に炎症か血栓ができていると診断され、とりあえず様子見で3日程入院してみることになったのです。

てっきり肺が痛いと思っていて、自分でも肺気胸や肺炎の類いだろうと考えていたので、肺のすぐ下の脾臓が腫れているとは思いもしませんでした。と言うかまず脾臓という臓器すら知りませんでした。

この時はまさか白血病だとは思いもしませんでしたし、ここから長い入院生活が始まるとも知らずに、初めての入院に少しワクワクしていたのを覚えています。(2013年8月19日)

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続く...

はじめまして

はじめまして。

去年の8月に急性リンパ性白血病と診断され、現在は無事に第一寛解となり退院中です。次回の入院では、臍帯血移植による完全治癒を目指しています。

なぜブログを始めたかと言いますと、これから移植を行うので、血液疾患で現在闘病されている方や、造血幹細胞移植を考えている方にとって少しでも参考になればと思い、始めました。

特に急性リンパ性白血病で、臍帯血移植を考えている方の参考になればと思います。

ちなみに次回の入院は1月6日で、移植は19日か20日の予定でしたが、退院中に右足に発疹が現れ、大晦日に救急外来で皮膚科の先生に見てもらったところ、免疫抑制による帯状発疹だと診断され、もしかしたら入院日を遅らすかもしれないということを告げられました。

ですから入院するまでは

  • 今までどんな治療を行ってきたか
  • 発症した時の症状
  • 僕のプロフィール
などなど適当に書いていこうと考えています。

よろしくお願いします。

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